芸術とAI
昨年5月に続き、右膝の手術のため再び入院した。今回は、前回の手術で膝に留置した金属製のピンなどを除去する手術だった。術後は病室で、持参したロートレックの画集をずっと眺めて過ごした。
描写力という点では、ロートレックよりも上手な画家は他にも多くいるだろう。しかし、彼の絵の素晴らしさは、単なる技術力とは異なるところにある。
パリの歓楽街に入り浸りながら暮らした彼の人生や、生まれつきの身体的ハンディキャップが、興味本位で語られることも多い。しかし、見るべきはやはり彼の絵に宿る本質的な魅力である。
ロートレックが描こうとしたのは人間——とくに、当時の女性たちの日常の生々しい姿や、パリの夜の光と影、人間の孤独と哀しみ、そして存在そのものへの深い共感だった。大胆な構図、息づかいが感じられる筆致、切れ味鋭く素早く動かされたタッチ——それらは、彼の内面から湧き出る創造力の産物であり、まさに創造的な人間にしか生み出せないものだ。
現在のAIは、膨大な情報を信じられないスピードで集め、巧みに組み立てる力を持っている。ある意味で、人間の能力を凌駕しているともいえる。しかし、少なくとも今のAIには、「無」から「有」を創造することはできない。
たとえば、モデルの写真を見せて「ロートレック風の絵を描いて」とAIに依頼したとしても、そこに生まれるのはあくまで「ロートレック風」の作品であって、本物とは似て非なるものである。
音楽や絵画をはじめとする芸術の世界は、人間に与えられた特別な領域だ。たとえAIとの共存が今後さらに進んだとしても、その本質的な創造行為は、神が人間にだけ与えた賜物なのだと、私は信じている。


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