春の日に思う

いつもだと春の兆しを感じて少し心が軽くなる頃だが、今年は全くそんな気にならない。

2年続き、3年目に入ったコロナ禍のせいもあるが、やはり心の中の大半を戦禍の中のウクライナの現状が占める。

ロシアが侵攻してもうすぐひと月になる。電撃作戦であっという間に首都キエフを落とし、ゼレンスキー大統領の政府を転覆させ、傀儡政権を樹立させることを目論んでいたと思うが、士気のあがらないロシアの戦車部隊に対抗する結束したウクライナ軍の戦いはプーチンの思ったように展開していないようだ。

しかしもともと圧倒的な戦力の差があり、なりふり構わず残虐なシリアの傭兵まで投入しようとしているロシアの前にいつまで持ちこたえることができるか予断を許さない。粘り強く開催されている停戦交渉を祈るような気持ちで見ているが、何とかプーチンに「このあたりで仕方がない」と思わせるような妥協を引き出せることを願うしかない。

核戦争の恐れがあったキューバ危機の時代は記憶にないが、一歩間違えれば核兵器が飛び交う第三次世界大戦になってしまう恐ろしさを感じないわけにはいかない。

今の平和はガラスの上の危うい均衡の上の平和かもしれない。世界のどんな国もある日突然平和な日常を奪われたウクライナのようになってしまうかもしれないのだ。

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生命感あふれる油彩画の制作をめざしています。

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