中川一政は独学で絵を描き、56歳で真鶴にアトリエを構えてから約20年は地元の福浦の漁港にイーゼルを立て、来る日も来る日も堤防の赤い灯台の近くに立ち続け、そこから見える漁港の家々を描き続けた。その後70代後半からは箱根に通いつめ、駒ヶ岳などを100号、50号などに描いたという。100号のキャンバスも車に積んで現場に運んだというのですごい。徹底した現場主義だ。
バラはアトリエでお気に入りのマジョリカの花瓶(顔の絵がついたもの)に色とりどりの切り花を入れて描いた。バラだけで800点以上の油彩画を描いている。真鶴の美術館に車で行き、じっとその作品を観てきた。絶筆のバラもすごかったが、特に90歳台のバラの作品は素晴らしい。中川はムーブマンと呼んでいたが単なる動きという意味ではなく、対象から湧き上がってくる躍動感や生き生きとした感覚、色彩の響き合いを言ったもののようだ。赤や黄、そして白、葉っぱの緑の美しさは相互に響き合い、背景に使われている混色された地味な色彩が花の美しさを引き立たせているさまが素晴らしい。

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