マルケの若い頃はマチスと共に野獣派の名前にふさわしい大胆な色彩の絵を描いていた。しかし、後年のマルケは中間色の大家と言われるような穏やかな色彩の絵を描いた。一見、地味で何の変哲もない風景画に見えるが、風景の本質をとらえた上手さがある。特に水の表現のすばらしさは驚嘆するばかりだ。
マルケはまるでその絵のように静かで大人しい人だったようだ。そしてルオーと同じく、マティスの親しい友人でもあった。生まれはボルドーの田舎町だったが、15歳の時に母とともにパリに出てきた。
友人だったマティスはマルケを絵の道に誘い、1894年、国立美術学校に入学している。
師であったモローは生徒たちの個性を尊重して自由に描かせる人だったようだが、1898年に亡くなった後、後を継いで絵画教室の先生となったコルモンとは気が合わず、マルケもマティスも学校を止めてしまった。
マルケはワイン商のドリュエとスポンサー契約を結び、経済的な心配をすることなく絵を描くことができるようになり、絵描きとして幸せな人生を歩んだ。なんとも羨ましい。
妻マルセルと結婚したのは1923年、47歳のときだったようだ。旅好きなマルケは、マルセルとともに、チュニジア、モロッコ、イギリス、ノルウェー、ルーマニア、スウェーデン、オランダ、イタリア、スイスなどに長期滞在して絵を描き、数多くの傑作が生まれることになった。

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