あの頃のこと④

大学入学後、すぐに東伏見にあった寮に入った。学生運動がまだまだ盛んな頃で、寮の中にも革マル派の先輩がいた。ずいぶんと古びた木造の建物で寮費が月額500円という驚くべき安さだった。入寮して1年後くらいに少し改装されたが、しばらくはごみ溜めのような部屋に暮らさざるを得なかった。毎年3月になると先輩たちが卒業するので部屋が空き、毎年順繰りに部屋替えをして少しずつ居心地の良い部屋に移れるのが嬉しかった。

絵のサークルにいつ入ったか正確には覚えていないが、革マル派の巣窟となっていた学生会館の屋上に部室があった美術研究会(通称美研)に入部した。小さな掘っ立て小屋のような部室に石膏像が2~3体並べてあるだけで、これでは高校の美術部のほうがずっと設備はしっかりしているなあとがっかりしたことを覚えている。

石膏デッサンがめっぽう上手な先輩がいて、デッサンの指導をしてもらった。「影はつながっているんだよ」と当時はよくわからないような言い方をされる先輩だったが、絵はうまく、大熊講堂のロビーで開催された早稲田祭の展覧会に出品された妹さんのポートレートの作品を見て、まるで小磯良平のようだと驚嘆したことを覚えている。

その後、美研内部のごたごたで、正統派の先輩に従って独立することになり、主要なメンバーがこぞって新しい組織に移り、「早稲田大学絵画会」を立ち上げた。絵画会は体育会的な性格があり、「真面目に絵の上達を目指し、しっかりと取り組まない人間は去れ」という方針。感性のままに自由に描けばよいとするメンバーは辞めさせられるか、去っていく運命にあった。外部の緩く自由な美術サークルからすると「なんてアカデミズムな倶楽部!」という見方をされたと思うが、われ関せずでデッサンに励み、在学中に有名な公募展に入選することという不文律のもと日々頑張って絵を描いた。勉強は二の次だったかもしれない。

絵は秋の八ケ岳高原 昨年の絵をやり直した F8号

作成者: mark

生命感あふれる油彩画の制作をめざしています。

4件のコメント

  1. 初めまして。画家の倉田タカユキと申します。実は、私早稲田大学の出身で絵画会に所属しておりました。本日まで、三鷹で個展をしておりましたが、私の絵を購入した方が、早稲田出身のかたの個展に伺ったことがあると、馬越さんの個展パンフレットを持参くださいました。そこに絵画会の創設という記事があり、たいへん驚きました。菊地理さんには、大変かわいがっていただき、自宅へも何度もうかがったことがあります。私は、絵画会は途中でやめて、馬術部に転身し、その後画家を志してフランスを放浪、帰国し早稲田で馬術を教えながら、個展を開催しております。
    本日、絵画会という懐かしいフレーズに驚かされ、メールさせていただきました。

    1. 倉田さま: こんにちは。書き込みありがとうございます。大変うれしいです。私は、絵画会の創立メンバーで2代目の幹事長でした。初代は中尾陽一さんでした。菊地さんとはよく一緒に描きに行っていました。町田のクロッキー会にも参加していました。最近はコロナ禍で会っていません。当時の先輩で馬場正道さんは教師を引退して絵を描かれてますが、最近は目の調子が悪く、あまりブログを更新されていません。馬術をされているのですね。私は早稲田の東伏見寮に4年間いました。近くに早稲田の馬術部があったのをよく覚えています。三鷹で個展をされていたのですね。伺いたかったです。(#^^#)

  2. 倉田さんとは、倉田さんの奥さんの故郷・三原の隣の尾の道に、中尾さん、森田さん、小野さんたちと一緒に行きました。海の幸がおいしくて、また行きたいと思いつつ数十年が経ってしまいました。コロナ禍での個展開催は度胸が要りますね。私はビビりっぱなしです。

    1. 数十年前ですか?なんと。(笑) 個展、開催したいですが、また感染が広まるかもしれないと思うと、なかなか踏み切れないですね。考え中です。(#^^#)

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